


“知らない人の演奏を見るのは、思いの外、退屈で疲れる…。”
Mが出演するステージを鑑賞する様になったY子は、5度目のライブハウス訪問の際に、その事実に気が付いた。
確かに、Y子の気持ちも分からないでも無い…。日々硬直し続ける音楽シーンで、ステージに立つミュージシャンぞれぞれの表現性を芸術的観点で見極めてやるのには、神経が幾つあっても足りない作業…。
そもそも、Y子は音楽鑑賞事態にそれ程関心を示さない人間。
彼女が思春期の頃にハマっていたと言うビジュアル系のロックバンドのCDは、当時の流行が過ぎ去るのと同時に、引き出しの奥へ奥へと追いやられ、今では韓流イケメン俳優をズルズルと引きずり続けては、彼が出演するドラマのDVDを買いあさっている有り様。
そんなY子がミュージシャンのMを追っかける様になったきっかけは後に説明するとして、彼女は六度目のライブハウス訪問以降、Mが出演する時間帯になるとぬくぬくと姿を表し、そして彼のステージが終わるとそそくさと店を出て行ってしまう、そんな習慣が身に付いていた。
尚、今回はあくまで音楽好きでは無いY子を題材に挙げているが、例え音楽好きな人でさえ、見ず知らずの人が演じるステージは退屈な物であると捉えてしまうケースは稀では無い。
では、演者(魅せる側)は、お客さん(見る側)が持つそう言った概念をどう覆して行くべきなのか、まずはそこを重点的に解剖して行こうと思う。(続く)
人は何故、ステージ上で楽しそうに歌を歌っている人間(いわいるアーティスト)を観賞する為に、わざわざ時間とお金を費やしてまで、ライブハウスへと出かけるのか…。
今回はある一人の人間が、ある一人のアーティストの魅力に惹き付けられ、毎月の様にライブハウスに通う様になるまでのプロセスを、見る側、魅せる側双方の心理状態を交えた上で、簡潔化せずに検証して行きたい。
人間一人一人に平等に与えられている物、それは時間。そして、それと対等にお金も…。
しかしながら、お金は、社会流通に置ける価値蓄蔵の図りであるとし、その構図上、どうしても人々の生活の間には富と貧とが生まれてしまう。
故に、お金とは人間一人一人に平等に与えられる訳にはいかない物であると、それは小五の公民の授業で教わった気がしない訳でも無い…。
それはもとより、毎月訪れるライブハウスの入場料金が2千円前後だとして、それをアルバイト業務で例えるならば、時給加算でおよそ二時間分の拘束が課せられる訳。
さてさて、その二時間と言う一日の1/12の長さは、ライブステージで置き換えるなら、四組分の演奏が楽しめてしまう(一組の持ち時間が30分の想定)。
「えっ!四組も見なければいけないの…。私はM君のステージだけ見たら帰るつもりよ。だって別に他のアーティストには興味無いし…。」
アーティストMの魅力に惹きつけられたY子が口を挟む…。(続く)
10・26 和田多門「BIRTHDAY EVE EVENT」のライブが近づいてまいりました。
この日は、日頃お世話になっている多門さんを盛り上げるべく、様々な企画を用意しています。
19時からの私のステージでは、多門さんの名曲「六月の雨」のセッションの他、曲の合間に私が「自己音楽討論」と称した論文を発表します。
今回のテーマはズバリ、「歌の歌詞について」。
歌詞の世界とは、実に不条理で、理解不能な言葉の詰め合わせ・・。そんな歌詞が持つ本来の役割、特質について、私が哲学的、論理的に語ります。
尚、今回の参考資料は、エンターテイメント情報誌「VIVACE」の11月号(10月15日発行)と12月号(11月15日発行)に掲載予定です。
是非、お越し下さい!
中野ハルオHPをご覧頂きありがとうございます。
私はピアノ弾き語りで都内のライブハウスで活動しています。
また、同時に執筆活動もしていて、現在、「VIVACE」と言うエンターテイメント情報誌にて、音楽コラムを掲載中です!これから当HPにも様々な内容のブログを書き込んで行きたいと思っています。是非、長い目でお楽しみ下さい。