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中野 春夫 ハルオ GRAFFITI グラフィティ グラフティ ピアノ弾き語り コピーライター

中野 春夫 ハルオ GRAFFITI グラフィティ グラフティ ピアノ弾き語り コピーライター


 歌い手側が歌を歌い、聴き手側が歌を聴く。
そんな相互作用の関係が成り立ってこそ、ライブと言う「見せ物」の空間が実在する。

 しかし、その空間は聴き手側の捉え様によって、「生演奏が聴けるコジャレたバーでお酒を一杯煽る私。」と言った主観的観念で括ってしまえる程、順応した空間であるとも言える。

 Y子に取ってアーティストNの演奏時間は、次に登場するアーティストMの予兆時間に過ぎない。そんな予兆中のY子にNの演奏を見せたところで、彼の芸術性を見い出す事も、己の音楽的感性を絞り出す事もしない。
 つまり、Y子から見るNのステージとは、“作られた自由空間の中でカタカタとピアノを鳴らしながら歌っている男性の正面でチューチューとカルーアミルクを啜っている私”と言う日常の生活圏内の一枠として捉えられてしまう。

 一方、そんなY子を客観視しなければならない筆者の私としては、彼女の下した総評は、主張性と判断性を欠いた誤審であると認識せざるを得ない。

 「私はアーティストMの演奏を見る為だけにライブハウスに訪れてた。それは、私に取って有効かつ有意義な時間とお金の費やし方。」
 
 Y子はそう自負し、さらに続けた。
 
 「アーティストNに与えた65点は、あくまで私の客観的評価。その中に主観的観念などは一ミリたりとも込められていない。よって今後とも私はアーティストNのライブに時間とお金を費やす事は無いだろう。」

  Y子の思想を直で突き付けられたアーティストN。彼はこんな調子で永遠に聴き手側の心を繋ぎ止める事は出来ないのだろうか…。(続く)

/中野ハルオ

 65点。これがアーティストNへ付けたY子の総評だった。果たしてこの点数は高いと言えるのかどうか…。

 Y子はもともと音楽に関心を持たない人間。故に彼女の音楽的感性は極めて低い。その上での65点。では、そんなY子と対照的に音楽的感性が極めて高いライブハウスの店長がNの採点をしたらいかがなものか。35点。

 素人Y子と玄人店長との間に生じた30点の溝。そこにはどんな相違点が挙げられるのか。

 まず一つ言える事は、玄人店長は玄人筋であるが故に、彼の持つ音楽的感性は絶対的であると崇めなければならない。従って、玄人ではない筆者の私が玄人店長の採点にチャチャを入れてしまう行為は秩序に反し、同時に読者側の信用も失いかねない。つまり、この場面では、正面からぶった切れそうな素人Y子の採点にチャチャを入れるのが妥当。

 Y子が付けた65点…。ここではまず100点満点からの減点方式で考えて行きたい。第一次審査のファーストインプレッションからマイナス20点。ブルブルの歌声と、ガタガタの演奏でマイナス5点。どのオリジナル曲もインパクト性が無く、心に響かないと言う事でマイナス10点。これらを総計してマイナス35点と言うY子の採点。


 では、果たしてY子が下したこの総評は的確であったと言えるのかどうか…。私の意見を率直に言わせてもらえば、実に不的確であるとY子を戒めたい所存…。(続く)

/中野ハルオ

  瞬時にお客さんの心を掴むには、やはりビジュアルで攻めるのが一番だろう。
いくら歌を披露するライブステージの場であっても、人々が感受する芸術性価値観は主に聴覚よりも視覚に備わる。そしてそれと同時に一アーティストとしての総評も八割型確立されてしまう。つまり、ここではイケメン素材が圧倒的優位な立場となるのだ。

 しかし、そんな根拠でアーティストを厳選してしまうのは、音楽界問わず、多方の芸能から罵倒を浴びるに違いない。
 そもそも、個々の人相と言うものは、祖先の遺伝子から受け継がれる賜物。その状況下に置いて、アーティストとなるに相応しい逸材かをファーストインプレッションで断定付けてしまうのは、実に浮かばれない話である。

 “アーティストになりたいと志す者にのみ、一流のアーティストとなる資格が与えられる。”

 しかし、そんな志しの有無ですらも遺伝性による賜物であるとするならば、それはそれで、ステージに上がる全ての演者に一流になる奇才が備わっているはずだ…。


 今ここに、何やら覚束ない足取りで壇上に上がろうとする一人のアーティストがいる。
未だ自分の芸術性価値観を見いだせずに嘆き続けるアーティストNの登場だ。

 その時、Nの次に出番を控えたアーティストMを鑑賞する為、早目に店に訪れたY子が最前列の席に腰掛けた。
 プルプルと震える手を鍵盤の上に添え、演奏を始めようとするアーティストN。それを尻目に、Y子はカルーアミルクをストローでチューチューと啜りながら、彼の演奏を見守る。(続く)

/中野ハルオ

“知らない人の演奏を見るのは、思いの外、退屈で疲れる…。”
 
Mが出演するステージを鑑賞する様になったY子は、5度目のライブハウス訪問の際に、その事実に気が付いた。
 
確かに、Y子の気持ちも分からないでも無い…。日々硬直し続ける音楽シーンで、ステージに立つミュージシャンぞれぞれの表現性を芸術的観点で見極めてやるのには、神経が幾つあっても足りない作業…。
 
そもそも、Y子は音楽鑑賞事態にそれ程関心を示さない人間。
彼女が思春期の頃にハマっていたと言うビジュアル系のロックバンドのCDは、当時の流行が過ぎ去るのと同時に、引き出しの奥へ奥へと追いやられ、今では韓流イケメン俳優をズルズルと引きずり続けては、彼が出演するドラマのDVDを買いあさっている有り様。
 
そんなY子がミュージシャンのMを追っかける様になったきっかけは後に説明するとして、彼女は六度目のライブハウス訪問以降、Mが出演する時間帯になるとぬくぬくと姿を表し、そして彼のステージが終わるとそそくさと店を出て行ってしまう、そんな習慣が身に付いていた。
 
尚、今回はあくまで音楽好きでは無いY子を題材に挙げているが、例え音楽好きな人でさえ、見ず知らずの人が演じるステージは退屈な物であると捉えてしまうケースは稀では無い。
 
では、演者(魅せる側)は、お客さん(見る側)が持つそう言った概念をどう覆して行くべきなのか、まずはそこを重点的に解剖して行こうと思う。(続く)

/中野ハルオ

人は何故、ステージ上で楽しそうに歌を歌っている人間(いわいるアーティスト)を観賞する為に、わざわざ時間とお金を費やしてまで、ライブハウスへと出かけるのか…。

 

今回はある一人の人間が、ある一人のアーティストの魅力に惹き付けられ、毎月の様にライブハウスに通う様になるまでのプロセスを、見る側、魅せる側双方の心理状態を交えた上で、簡潔化せずに検証して行きたい。

 

 人間一人一人に平等に与えられている物、それは時間。そして、それと対等にお金も…。

しかしながら、お金は、社会流通に置ける価値蓄蔵の図りであるとし、その構図上、どうしても人々の生活の間には富と貧とが生まれてしまう。

故に、お金とは人間一人一人に平等に与えられる訳にはいかない物であると、それは小五の公民の授業で教わった気がしない訳でも無い…。

それはもとより、毎月訪れるライブハウスの入場料金が2千円前後だとして、それをアルバイト業務で例えるならば、時給加算でおよそ二時間分の拘束が課せられる訳。

 

さてさて、その二時間と言う一日の1/12の長さは、ライブステージで置き換えるなら、四組分の演奏が楽しめてしまう(一組の持ち時間が30分の想定)。
「えっ!四組も見なければいけないの…。私はM君のステージだけ見たら帰るつもりよ。だって別に他のアーティストには興味無いし…。」
アーティストMの魅力に惹きつけられたY子が口を挟む…。(続く)


/中野ハルオ

10・26 和田多門「BIRTHDAY EVE EVENT」のライブが近づいてまいりました。

この日は、日頃お世話になっている多門さんを盛り上げるべく、様々な企画を用意しています。

 19時からの私のステージでは、多門さんの名曲「六月の雨」のセッションの他、曲の合間に私が「自己音楽討論」と称した論文を発表します。

 今回のテーマはズバリ、「歌の歌詞について」。

 歌詞の世界とは、実に不条理で、理解不能な言葉の詰め合わせ・・。そんな歌詞が持つ本来の役割、特質について、私が哲学的、論理的に語ります。

 尚、今回の参考資料は、エンターテイメント情報誌「VIVACE」の11月号(10月15日発行)と12月号(11月15日発行)に掲載予定です。

 是非、お越し下さい!


/中野ハルオ

中野ハルオHPをご覧頂きありがとうございます。
私はピアノ弾き語りで都内のライブハウスで活動しています。
また、同時に執筆活動もしていて、現在、「VIVACE」と言うエンターテイメント情報誌にて、音楽コラムを掲載中です!これから当HPにも様々な内容のブログを書き込んで行きたいと思っています。是非、長い目でお楽しみ下さい。


/中野ハルオ